赤い三角屋根の喫茶店

先日とてもおいしいパフェを食べて思い出した喫茶店の思い出。

 

我が育った町は北関東の田舎町で、東京から名古屋へ行くのと同じくらい時間がかかります(大げさではなくそうなんです…)。山と田んぼののどかな町です。(普段は。近年、廃棄物最終処分場問題で揺れていますが…)

 

喫茶店すらないその町に、幼稚園の頃、喫茶店ができました。これはたぶんあの町では当時話題のニュースポットだったことでしょう。

赤い三角屋根の小さなお店で、ちょっとプレハブぽかったですが(静かに)イメージ的にはサザエさんのエンディングで、後ろ向きで歩くサザエさんに導かれた登場人物たちが吸い込まれていく家のような建物でした(わかりますでしょうか…)。わずかテーブル数席の喫茶店。

 

その店ができてすぐ、父が行こうって言ったのか、私が行きたがったのか、連れてってもらってパフェを食べてさせてもらいました。

当時から食いしん坊であり、太めでしたので←パフェを食べられる!という喜び同様、あのかわいい三角屋根のお店に行ったー!という喜びがいつまでも残るたぶん人生最初の体験でございました。そっか、だから私はケーキよりパフェがすきなんだ。

 

しかし、パフェがどんなビジュアルでどんな味だったかまったく覚えていない…。まあ幼稚園児の頃だから記憶もね…。

そしてあのお店ももうなくなってしまいました。そのお店の前にあったド派手なパチンコ屋クリントンももうありませんし(残念ながらオバマとかに店名変更した訳でもなく店ごとない)、父ももういません。

ちょっとさびしいね。

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「オトナの!フェス」参戦記 その1

23日「オトナの!フェス」に行ってまいりました。会場のZeppダイバーシティ―東京は初めて。Zeppが入っている「ダイバーシティ―東京」のフードコートはえらい混んでいるだろうなーと思ったので6階のタイ料理屋さんでご飯を食べました。入ったらお客は私一人。トムヤムクン麺とガパオライスセット。食べ過ぎだねー←。

 

時間にやや早めに階下のZepp付近へ。リップクリームをコインロッカーに入れてしまったので同じ階にあるマツキヨへ。爆買いの海外旅行客でごった返していた。DHCのリップを大量買いするおばさま2名にお尻をぶつけられながら(でも謝られた。アジアの言葉で。)リップを選び、予想通りに混んでいたフードコートを通過してZeppに。

 

ポインコ兄弟でおなじみのdポイントカードに登録すると、フェス特製Tシャツがもらえるんですって奥さん。先着80名様。まあ登録しますよね。そしてこのTシャツは販売もしていて(生地はプレゼント用よりも厚そうでした)それも即完売していた。私はMETAFIVEが見られることににウキウキしてしまい、彼らのTシャツも買ってしまう。

 

TBSの深夜番組「オトナの!」のフェスなので、事前告知のラインナップは司会のいとうせいこう氏・ユースケ・サンタマリア氏、番組に出ていたMETAFIVE、岡村靖幸、DJSeiho、高木完and more!となっていた。

で、ほどよい会場の広さで、決して早い番号ではなかったけど程よい後ろで程よい真ん中でいいな、と思っていたら客席が暗転し、「みなさんこっちですよ~」と手を振りながら会場中央の(私のすぐ後ろ)DJブースにDJSeihoさんが登場。事前知識を仕入れずに行ったのであるが、どんな人か気になる前に…。DJ卓の前に「おいしい牛乳」の1リットルパックと、赤いアンセリウムが一輪入ったガラスの花瓶とが置いてあるんですよ。なんかのメタファーか、単に牛乳が大好きでDJ中にエナジードリンクとして飲んでるのかとっても気になる。Seihoさんは黒髪ロングヘア―をポニーテールに束ね、スパッツみたいな、ダンサーみたいなへそ出し(っておしゃれに言うとなんていうのでしょう?)の衣装で踊りながら、スペイシーでサイバーで、まるで水滴がひろがるのような音を重ねていて、パフォーマンスはとっても前衛的な感じ(この後もっと前衛的になるのであるが)。ちなみに超私感ですが、Seihoさんはロケットマンさんをさらにロングヘア―にしナルシスティックにしていいカラダにして凛々しくした感じがしました。時折ちょっと照れるようにはにかむ。攻めてんのにはにかむのね!!(ほめてるの)

そして中盤、DJブース前にやってきたDJSeihoさんは「おいしい牛乳」を開け、アンセリウムの花瓶に牛乳を注ぎ入れ、その花瓶ごと牛乳を飲み干すのであった…圧巻。

そして最後に矢野顕子さんと共演したという名曲「Tong Poo」のカバーを演奏して、またはにかんで去っていきました。

気になる。。。すごく気になる。

 

 

参戦記つづく

よいところ

いま、短期で働いている病院のよいところは、どの職種もユニフォームが自由なこと。色も自由。ただしスカートはダメです。


某職種の齢40後半〜50前半くらい、パンチ的なパーマで強面(ごめんなさい、でもとっても優しい方です)なベテラン氏のユニフォームのチョイスが気にかかっている。
 
ベテラン氏のユニフォームは、キュートでファンタジックでスペイシーな木星や流れ星柄のプリント、色は模様も含めて青系のパステルカラー。
そしていつお会いしてもこのユニフォームを着用している。何枚かお持ちなのでしょう。
 
どうしてこれをセレクトしたのかしら…。カタログで楽しく選んだのかしら…。これを着てベテラン氏が毎日楽しく働けてるならよいことだ。でも、私がこの職場に所属しているのはあとひと月ほどなので聞けなさそう(なんとなく)。

 

 

能町さんのイベントに行ってきた

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昨夜は(む)さんと能町みね子さんのイベントへ。場所は新宿ロフトプラスワンでした。

新しい著書「能スポ」と「能サポ」の出版記念イベントで、タイトルは『能町みね子とスルギくんはときめきデートスポットうどんサッカーサポーター略して、能スルポ』。長っ。

ちなみにスルギくんは、香川出身の講談社の編集者の方です。

会場に入ったら、スクリーンがこれだった。
延々これのままだった。
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説明しますと、「能スポ」に載っている、能町さんたちが見た瞬間笑い崩れたという「小室三段活用」。西高島平の表札屋さんの店先にあった見本だそうです。(こちら)
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まさか、カラーで見れるとは!(胸アツ)

そして能町さんとスルギくんはJ2のカマタマーレ讃岐のユニフォームで登場。胸に「さぬきうどん」て書いてある。
能町さん見るたびお綺麗になっているなー。前髪パッツン、毛先だけブリーチかわいいなー。
ロフトプラスワンなので、居酒屋みたいに飲みながら食べながら観覧。

(む)さんは最初新宿ロフトと間違えてたけど辿り着いた!よかった。で、乾杯。

イベントは著書「能サポ」の内容に沿って、サッカーに興味がなかった能町さんが2011年から現在J2のカマタマーレ讃岐を観に行っていて、その普通じゃなく斜めからの楽しみとおかしみ。そしておいしく不思議システムな讃岐うどん屋さんのお店の数々と、香川の風光明媚さ、ほのぼのさ、などなどを写真を見ながらスルギくんとゆるゆるトークしてくださる、という内容。それが第1部。

第2部ではもう一冊の「能スポ」のスライドショー。この本のサブタイトルは「能町みね子のときめきデートスポット」なのですが、能町さんの観察眼がやはりすばらしく。哀愁とか、共存とか、ネオアコというか、ノスタルジーでシュールでダダイズムでファニーな街のスライドショーなのでした(なにそれ)。

時間が足りなくて、スライドは全部は紹介できずまた次の機会に、となり、カマタマーレのユニフォームと讃岐うどんが貰える大じゃんけん大会andサイン会で終了。

サイン会で「能スポ」に以前住んでた街が載っていてびっくりしたのでその話をしたら、能町さんが地図を付け加えて書いてくださったよ。やさしい。スルギくんの絵はバカボンのパパみたいでゆるくていいね。
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能町さんの弟さんでパフェ評論家の斧屋さんもいらしてました。

途中地震があって(茨城で震度5?)、少しこちらも揺れたけど、なにより緊急地震速報のアラームが一斉になり出すほうが恐怖だった。あれ怖さ煽られるねー。

そしてびっくりその2は会場で数年ぶりに偶然お友達を見かけ、捕獲。うれしかった!

帰り、歌舞伎町を歩きながら、(む)さんと「ねぷたみたい!」と盛り上がった看板。ロボットレストランてすごくフォトジェニックよね…
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いまの仕事

いまは看護師をしている。
そのまえは地方のタウン情報誌の編集をしていた。仕事を辞めて看護学校に入り、いまに至ります。

なんで看護師になったのか?
とよく聞かれる。解答がむずかしい。理由はひとつではないなーと思う。
編集者2年目の終わりに、大学の同期に「今からでもなれる、ずっと続けられる仕事ってなんだと思います?」というアンケートをとってみたら、看護師と先生が挙がってきた、というのもあるし、なにか資格をとったら、自分に自信がつくのかなとも考えた(実際自信など別につかなかったけど)。あとは、母が早くに亡くなったことも。
編集の仕事は楽しかったけど、ちょっと燃えつき気味だった。どれが一番の決め手かといえば、現実的過ぎるけど、決めてすぐに受けた看護学校に受かったことかも。
でも、素質的には全然向いていない。そそっかしいし、理数系じゃないし、あわてんぼうだし、おおざっぱだし。
だから父親は最初猛反対したのだと、いまになって気づく次第(結局応援してくれてたけど)。

そういう性質を直すための転職だったのかもな、とも思うが10年目のいまも残念ながら変わっていない。母は看護師になろうとしたこともしらないので、もし知ったらひっくり返るかもしれない。

クジラの解体

どうしてクジラの解体を見に行ったか、というと、当時授業で博物館学をとっていて、先生のひとりが、某大学でクジラの解体に関わっていたからだった。 

30代の女性の先生で「何月何日にクジラの解体やるから、見たい人おいでよ」みたいな気軽な誘い方で、私たちは違う学校に行くのも、クジラの解体も面白そうだからと授業をサボっていそいそ出かけた。

先生は白衣を羽織って待っていてくれて、案内しながら、階段を登り「こういうとこ、ヒールの音コツコツさせるヤツさ、ムカつくよねー」とか、途中「もう疲れてさー。タバコ吸ってきていいかな?」等、終始気だるい感じで、その学校のイメージとだいぶ乖離していてむしろ私は好感をもった。

お目当のクジラは、なんと既に解体されていた。遠い海洋から大きいままでは運べないからだ。私たちが見たのはバラバラになった、腐敗の匂い漂うクジラの切り身だった。
その匂いはとても染み付いて、帰ってからも鼻からはなれなかった。ほかにイルカ的(忘れてしまった)な生き物(の切り身)も見せてくれたと思う。

そして倉庫内は真夏なのに冷蔵庫のように冷たく、長時間いたために体はキンキンに冷え、思考回路もややヘンテコになり、南極のペンギンてこんな感じかなーと思ったりした。見学が終わって外にでたら呆然とするほど暑くて開放感を感じた。

実は昨日の渡米する友人は、クジラの解体を見に行けなかったらしい。直前に風邪をひいて。
私の記憶では彼女も行ったことになっていた。
でも彼女は、私たちが見学後に「匂いが染み付くし寒かったから、行かなくて正解!」と言ってたよ、と覚えていてくれた。

クジラはもちろん有益に研究に使われただろう。そして先生は元気だろうか。
真夏の都心の隔離された不思議な空間だった。